過去に河森正治氏は、富野監督やサンライズとも仕事の予定がありました。
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河森正治 ビジョンクリエイターの視点より、富野・ガンダム関係※一部要約しており、全文ではありません。元記事をお読みになりたい方は、「河森正治 ビジョンクリエイターの視点」をお求めください。
■富野監督と河森氏
当時は忙しかったけど、みんな若かったですからね、宮武(一貴)さんは30歳前後で、自分の今の年齢よりもずっと若かったですからね。自分は『クラッシャージョウ』のデザインをやりながら、『超時空要塞マクロス』の企画をやりつつ、タカラのダイアクロシリーズや『ゴールドライタン』を描き、富野(由悠季)さんとも別の企画をやっていました。富野さんとの企画は、主役マシンのハッチやパネルが開閉してエアブレーキになって、中の構造が見えるというウリの設定を考えた作品だったんです。が、『マクロス』が発表されたときに、「他所でなにをやっているんだ!」って企画がNGになってしまった(苦笑)。サンライズ以外でそういうロボットものの企画をやっていたのがダメだったみたいで。でも『マクロス』は、そもそもサンライズさんに提案して断られた企画なんですよ(苦笑)。
・富野監督との企画は、マクロスが1982年放送ですから、1980~81年頃でしょうか。
『Gun Sight』っていう公式と非公式の中間ぐらいの同人誌を作っていたんですけど、それがのちに発展して『ガンダムセンチュリー』という1冊の本になって、それを富野さんに気に入っていただけて、今に続くガンダムの設定のベースになっていますよね。
だいたい初代ガンダムのころは、脚本の松崎(健一)さんも、もちろん富野さんも、「ザクはいいけど、ガンダムさえ出なければもっといい作品になるのに」と言いながら作られていたわけですしね。
■サンライズと河森氏
・1981年に書かれたサンライズ作品企画案のメモというものがあり、「初期型モビルスーツ!?」や「未知との遭遇+国家間+個人」と書かれていました。
上の富野監督との企画とは関係は不明。
その中国旅行も、次の企画のためのものでした。没になったんですけど、サンライズさんでやろうと思っていた遊牧民が出てくるロボットものです。巨大な惑星が舞台で、地上を進む民族と川を進む民族が対立する世界があって、そこの次元ジャンプのような形で飛び込んでしまった主人公たちが巻き込まれて……っていう話ですね。
・巻末によると、題名は『パラレルワールド』となっており、「85年に中国取材へ行くきっかけとなった遊牧民ロボットもの。本企画では、戦車と攻撃機が合体してロボットになる試作も作られていた。かなり凝った試作であり、VF-1バルキリー企画時と同様のプロセスを経て、世に出る可能性があった。」という内容。
実は『機動武闘伝Gガンダム』も、格闘ものになる以前、「火星を舞台にしたガンダム」というコンセプトだった時期に参加していて、目玉型の火星基地などを描いていたんですよ。その火星基地は、のちに『カウボーイビバップ』で活用されます(笑)。
1985年の中国旅とGガンダム放送の1994年より前である「火星を舞台にしたガンダム」との関係は不明。
Gガンダムの前身の企画に参加しており、ビバップで使用されているようです。
・Gガンダムの前企画で火星を舞台にした、といえばこちらを想像しました。
TOMINOSUKI / 富野愛好病 富野由悠季没企画、没監督・演出作品一覧 4.ポルカガンダム
元々『Vガンダム』の後番組として備えた企画だが、富野のテレビガンダムシリーズの降板により、結局後番組は『Gガンダム』となった。内容は「火星移住民と地球との摩擦を描く」というもので、後の『∀ガンダム』に流れたアイデアが伺える。
こちらも直接の関係は書かれていないので不明ですが、「火星を舞台にしたガンダム」=「ポルカカンダム」なのではないでしょうか。
もしポルカガンダムでないとしても、一度ポルカガンダムの設定を活用したものが、「火星を舞台にしたガンダム」。
しかし、これも流れてしまい、Gガンダムに至ったのではないでしょうか。
ですから、「火星を舞台にしたガンダム」≒「ポルカカンダム」になると考えました。
どちらにしろ、富野監督は、河森氏と仕事をする予定がありました。
サンライズとは、何度も仕事をする予定があったようですね。
これから先、富野監督と河森氏のタッグはあるのでしょうか。