サンライズの歴史紹介で富野監督とガンダムに触れる
前編、後編の二回に分かれています。
経営主導主義が作家性を育んだ!日本のロボットアニメを牽引したサンライズの歴史|おたぽる
――アニメはアニメ制作会社によって作られる! それは当然のことながら、これまでアニメスタジオは、「スタジオジブリ」を除いて、一部の好事家によって語られる存在に過ぎなかった。しかし、近年アニメスタジオはブランド化が進み、古くは「サンライズ」から「東映アニメーション」、近年では「京アニ」「シャフト」など、アニメ制作会社は広く語られるようになっている。そこで文献などを参考に、改めて各アニメスタジオを概観。アニメ制作会社を通じて、アニメ業界の歴史とその変遷を紐解いていこう。
【第1回】サンライズ
『伝説巨神イデオン』(1981年)制作時、まず玩具メーカーとサンライズの間で主役ロボット・イデオンのデザインを完成させた段階で監督の富野由悠季が企画に参加したそうだ。だが、肝心のイデオンを「酷いデザイン」と感じた富野は、そのデザインに耐えうる展開をめざし「第六文明人の遺跡」を考案し、「イデオンを巡って対立する人類が全滅する」というハードで作家性の強いストーリーを考案し、それが通ってしまったというエピソードがある。
このようにサンライズは初期から、まずスポンサーのオーダーと外注スタッフであるクリエイターのせめぎ合いが存在し、その結果作家性と商業性を兼ね備えたハイブリッドな作風を持つアニメが数多く生まれる土壌を育んだと言える。
そして1976年11月には、株式会社日本サンライズに社名を変更。翌年10月より、日本サンライズ初のオリジナル作品『無敵超人ザンボット3』の放送がスタート。荒唐無稽な要素の多かった従来のロボットアニメから一線を画す、ハードでリアルな人間ドラマで華々しいデビューを果たした。
ちなみにこの時期のサンライズは、業界一のギャランティの安さだったそうだ。『ザンボット3』を監督した富野曰く、「日本サンライズはスタッフを社員として雇うだけの力はないから、ほかで稼いでくれるならやってくれ」ということで、ほかのプロダクションの仕事を請けながら制作していたという。
現行ビジネスモデルの走り!?サンライズがアニメ業界にもたらしたもの|おたぽる
だが、90年代に入ると従来の『ガンダム』シリーズのファン層は高齢化。低年齢層の「ガンダム」人気は、三頭身程度のコミカルな体型にアレンジされたガンダムを描く「SDガンダム」が中心となっており、しかも徐々にそのブームも落ち着きつつあった。そこでガンダム人気再燃を目論み制作されたのが、1993年に放送された『機動戦士Vガンダム』であったが、残念ながらヒットしたとは言い難く、サンライズとしては赤字。ただしビデオとLDの売り上げは好調だったらしく、パッケージ商品で回収はできたそうだ。パッケージ商品を売ることで製作費を回収するという現在のアニメのビジネススタイルを、結果的に『Vガンダム』は実現してしまったわけだ。
ただその収益構造を見れば、『ガンダム』シリーズ頼りとなっている感は否めず、現在もテレビシリーズ『ガンダムビルドファイターズ』、OVA『機動戦士ガンダムUC』の2作が進行中。さらに今後は、初代『ガンダム』を原案にしたコミックのアニメ化作品『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』も予定されており、当面この傾向は変わらなそうだ。今後のサンライズを占う要素として、『ガンダム』ブランドをいかに維持していくか。はたまた『ガンダム』に代わる新たなコンテンツをいかに開発していくか、が挙げられるだろう。
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