産経新聞に富野監督のインタビュー掲載
富野監督関連のニュースです。
手塚治虫氏関連として富野監督のインタビューが掲載されました。
【テレビ還暦60年】アニメは手塚治虫の「発明」だった - MSN産経ニュース
参考にでも
杉井ギサブロー - Wikipedia
政岡憲三 - Wikipedia
こちらのブログ様の方が、虫プロ関係など詳しい記事を書かれています。
産経新聞のアトム記事に、富野のインタビュー掲載:富野とかBLOGサイト2:So-netブログ
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手塚治虫氏関連として富野監督のインタビューが掲載されました。
【テレビ還暦60年】アニメは手塚治虫の「発明」だった - MSN産経ニュース
■省略が生んだアトムの世界
手塚治虫の人気キャラクターが、ブラウン管の中で動き回る。昭和38年1月1 日、フジテレビで放送が始まった日本初の 連続テレビアニメ「鉄腕アトム」は、多くの子供たちの心をわしづかみにした。動くアトムの誕生は、50年にわたって独自の進化を遂げ、今や「クール・ジャパン」の 代表格となった日本のテレビアニメの幕開けだった。(略)■常識破りの手法
(略)手塚先生の本性は漫画家でもアニメ制作者でもなく、物語作家。物語を伝えることに大きな興味があったからこそ、思いついた手法でしょう」。「機動戦士ガンダム」シリーズの生みの親、富野由悠季(よしゆき)さん(71)はそう語る。
富野さんも昭和39~41年、アトムの演出などを手がけた一人だ。外部プロに作画を注文する作業も担当した。外注先に は、日本初のフルセル画アニメ「くもとちゅうりっぷ」を手がけ、「日本のアニメーションの父」と呼ばれる政岡憲三といった大御所もいた。
「大アニメーターに向かって、手塚先生がアトムの描き方を講義する。僕はその橋渡し役ですから、ある意味ひどい目にあった。しかも、できあがってきたものは極め てクラシックで、リミテッドの方法と根本的に違う」と、当時の困惑を懐かしそうに語る。
実写志望だった富野さんは「アトム」の簡略表現に違和感も覚えていた。「外注で 『古くていい仕事』を見ることができたのは大きかった。『物語がしっかりしていれば動かなくてもいい』と思う一方で、同じ漫画絵を動かすにしても、これだけ幅があると知った」
■再び常識突破へ
日本動画協会によると、年間に放送・公開されるアニメは、テレビと映画合わせて200作以上、関連商品を含む市場規模は1兆3千億円以上。「アトム」から半世紀、日本は世界有数のアニメ大国となっ た。
ただ、富野さんは「人々がテレビアニメという媒体が抱える問題を疑わなくなった。蛸壺(たこつぼ)にはまってしまっている」と苦言を呈し、「物語をいかに作るかで勝負しないと」と訴える。(略)
参考にでも
杉井ギサブロー - Wikipedia
政岡憲三 - Wikipedia
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産経新聞のアトム記事に、富野のインタビュー掲載:富野とかBLOGサイト2:So-netブログ
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