東京国際映画祭で富野由悠季監督が対談~「映像の世紀に進化はあるのか」~
2015年10月23日に第28回東京国際映画祭で富野由悠季監督の対談が行われました.
私も富野監督に会いに行ってきました.
東京国際映画祭2015「ガンダムとその世界」で富野由悠季監督の対談を実施!!
Gのレコンギスタ(Gレコ)の1~3,26話とリング・オブ・ガンダム(RoG)を大画面で見ることができました.
また,富野監督と落合氏の対談は非常に面白く,濃い約30分でした.
10/23(金)新宿ピカデリーで開催の東京国際映画祭『ガンダム Gのレコンギスタ』上映回に、富野監督とメディアテクノロジスト・筑波大学助教の落合陽一氏が登壇決定! http://t.co/AaG340aEQq #gレコ
— Gのレコンギスタ (@gundam_reco) 2015, 10月 19
■GレコとRoGの上映回
Gレコの1~3話までは,約一年前の8月Gレコ先行上映で見た特別編集バージョンです.
放送版とは異なり,3話が連続して上映されるタイプでOPとEDがありません.
本編の中身はもしかするとBD修正版かもしれませんが,私には判断がつきませんでした.
26話は,OPとEDがありました.こちらは,Gルシファーが月光蝶をしたのでBD修正版だと分かりました.
国際映画祭だけあって,Gレコ,RoGともに英語の字幕が画面下に表示されていました.
さらりとしか英語字幕を読んでいませんが,英語にすると富野節が普通の言葉になっているように読めました.
今までGレコを字幕有りで見たことがなかったため気が付きませんでしたが,
ノレドがパチンコをいじるシーンが字幕と被っていました.
Gレコ26話「大地に立つ」の英語は「リングオンアース」であり,上映されたリングオブガンダムへ続いている感じがしました.
RoGのクレジットを見ていると「ポリゴン・ピクチュアズ」がスタッフの中にいました.
RoG公開当時はアニメ界で有名だったかは分かりませんが,
2015年現在ではアニメ界でポリゴン・ピクチュアズを知らない人は少ないと思います.
サンジゲンのセルルック3DCGTVアニメ「アルペジオ」に続き,
同じくセルルック3DCGTVアニメ「シドニアの騎士」の制作会社がそのポリゴン・ピクチュアズです.
宮崎吾朗氏の「山賊のむすめローニャ」や現在放送中の「トランスフォーマー アドベンチャー」のCGも担当されています.
■富野監督と落合氏の対談
富野監督と落合氏の対談です.
予定には書かれていなかった小形Pも登場されて,司会をなされました.
国際映画祭のため,英語字幕と同じく外国の方には同時通訳が流れるレシバーが渡されていました.
落合氏は筑波大学で研究室を持たれている先生です.
Yoichi Ochiai (落合陽一)
筑波大学助教・デジタルネイチャー研究室主宰
超楽しかったです! ありがとうございました!
富野由悠季監督、“ミノフスキー粒子”の発明を自画自賛「改めて秀逸なアイデア」 #映画 #eiga https://t.co/GcXqIQdAsB via @eigacom
— 落合陽一/Dr.YoichiOchiai (@ochyai) 2015, 10月 23
富野監督とのガンダムトーク,ガンダムファン冥利に尽きる感じでした.最高に楽しかったです.ご来場いただいた方,ありがとうございました!!
コンピューターテクノロジーで人類を革新する!!! pic.twitter.com/v9n94ESYDt
— 落合陽一/Dr.YoichiOchiai (@ochyai) 2015, 10月 23
14歳の時の僕に教えてあげたいことがあるとすれば,コンピューターの研究をしているとそのうち富野監督とガンダムトークができるようになるよってことだね.うれしかった.ありがとうございました. pic.twitter.com/QiRxFtDoYm
— 落合陽一/Dr.YoichiOchiai (@ochyai) 2015, 10月 23
あのあと実は延長戦を2時間くらいやっておりました.またこういう機会があるといいですね.ありがとうございました. https://t.co/NSv5bPazDQ
— 落合陽一/Dr.YoichiOchiai (@ochyai) 2015, 10月 23
これ本当にうれしかったです.魔法の世紀みんな買ってね https://t.co/lDi4V9rws9
— 落合陽一/Dr.YoichiOchiai (@ochyai) 2015, 10月 23
富野監督のコメントが帯になっている落合氏の書籍の内容
来月出る新刊,「魔法の世紀」はモリスバーマンの「世界の再魔術化」の流れを30年のときを経て,コンピュータというツールで読み解いた本で,デカルトとベーコンという対峙をとりなす自然科学のように,計算機によって我々の世界認識と文化はどう代わり得るかをなるべく具体例を用いながら書いた.
— 落合陽一/Dr.YoichiOchiai (@ochyai) 2015, 10月 24
ネット上ではいくつか記事が出されていますが,マイナビニュースが一番詳しく書かれていました.
【レポート】富野由悠季監督が説く「ガンダム」の世界が揺るぎない理由と『Gレコ』秘話、そして「人は本当にニュータイプになれるのか」絶望感も吐露 https://t.co/omh18gb5D7
— 【公式】マイナビニュース 新着記事 (@mn_all) 2015, 10月 24
小形氏:コンピューターによって、こういった変革が大きくなったということなのですが、実際にディズニーも『アナと雪の女王』はCGに進み、今度は宮﨑駿監督もCGの映画を作ろうとしています。そんな中、『G-レコ』はいまだに手書きのアニメーションでやっている。監督、これはどういうことなんでしょう?
富野監督:だから富野は馬鹿だよね。「しょうがないからやっている」という、突き放したような言い方もできます。けれども、あえて偉そうな言い方をすると、20世紀が作り上げてきたある特定の文化があるから、やっぱりそこで遺産になるような作品を作っておきたい。そして、『G-レコ』でそれをやってみせるぞという気概はありました。
富野監督:~15年たって久しぶりに『G-レコ』をやってもこの設定は使えました。そしてコンピューター技術がこの20年たってとんでもなく進歩しているにもかかわらず、『ガンダム』の世界が揺るぎないのは、「ミノフスキー粒子」があるおかげだと思ってます。
コンピューターもへったくれもないんだよね。いまだに、取っ組み合いができることで劇ができる。わかりやすく言うと、愛憎劇ができるんですね。「愛しあうためには手が届くところで抱き合わなくちゃいけないんだよ」という原則を絶対に揺るがすことができないという意味では、「ミノフスキー粒子」が改めて秀逸なアイデアだなと今回感動したんです。
また、工学は関係ないと言いつつ、実はこういう入り口から工学に入っていくような人たちが出てきたりする。僕は今回『G-レコ』を作る上でもう一つ思ったのは、現代の宇宙開発も含めて、地球上の資源が消費されている問題がどうなのかということを次の世代の人に考えてほしいと思ったことから『G-レコ』のような舞台を作ったんです。
エネルギーのことを考えた時にキャピタルタワー、つまり宇宙エレベーターがありました。あれを時刻表によって定時運送できるだけのシステムを考えた時にエネルギーの問題があって、あれだけ大きなものを動かすためのエネルギーを人工的なものやクリーンエネルギーでまかうのは不可能なので、そこは本当に考えました。
雷を使う、つまり地球そのものがバッテリーかもしれないという想定で、その電力をすくいあげる技術を確立しているだろう、そのくらいのレベルを考えないと『G-レコ』の中のキャピタルタワーは成立しないんだよということを、今から50歳若い子に考えてもらったら、その難題を突破する方法論を見つけてくれるんじゃないかと思ったんです。
地球そのものがバッテリーになるかもしれないということ、そして実際に電離層があるというのがどういうことなのかという、宇宙工学の部分でも我々が研究しなければならないことがたくさんあるんだよということを画にするために実は『G-レコ』を作りました。この話は、今日初めてするお話です。こんなことを言われて、『G-レコ』をロボットものとして見ていた人はびっくりしちゃうと思うのですが、この話はわかってほしい。
落合氏:でも、『G-レコ』を見た世代が宇宙に出ようとしてくれるから大丈夫じゃないですか?
富野監督:宇宙に出たいって思う? 僕は『ガンダム』を作っていた時から宇宙に出たいと思ったことはありません。だって、つまらないから。僕は星座を見て1年中楽しめるという感覚がないから、きっと飽きるし。僕は、そばにお姉さんがいてくれたほうがずっといい(笑)。それ以上の欲がないですから。
でもこれに関連すると、生物というのは雄と雌に分化されて今日まで生きてきて、人類は繁栄してきた。だけど、人類という一種のみがこれだけ繁栄してきてしまった地球の生態系は異常なんだということを、我々はやばいと思う必要があるという話までしたいんだけど、これはアニメではできないんです。視聴率も下がるし、劇場にも誰も見に来てくれないということになるので、スペクタクルに展開させるしかないんですよね。
その次は電撃ホビーマガジンでした.電撃ホビーは全体を掴みやすいです.
第28回東京国際映画祭にて新宿ピカデリーで富野由悠季監督の作品である「ガンダム Gのレコンギスタ」と「Ring of Gundam」が上映されました! https://t.co/i55OH2orcN #Gandam #東京国際映画祭 pic.twitter.com/u8kjCrcT0Z
— 電撃ホビーマガジン (@hobby_magazine) 2015, 10月 24
他の記事です.
【レポート】東京国際映画祭「ガンダムとその世界」富野由悠季×落合陽一トークイベント
Gレコに隠された次世代へのメッセージ #東京国際映画祭 #ガンダム #Gのレコンギスタ https://t.co/YIxY3gAmVw pic.twitter.com/ygXnoqn3Pz
— CHATTERBOX (@chatterboxxxmag) 2015, 10月 24
富野由悠季監督:Gレコは「子供への種まき」と熱弁 ミノフスキー粒子は「秀逸」と自画自賛も https://t.co/VZ7CTmd6cb
— MANTANWEB (まんたんウェブ) (@mantanweb) 2015, 10月 23
[映画]「ガンダム」富野由悠季、手書きアニメへのこだわり語る「遺産になるものを」【第28回東京国際映画祭】 https://t.co/xte4puvaFw pic.twitter.com/ULF6QrG1o2
— シネマトゥデイ (@cinematoday) 2015, 10月 24
マイナビニュースでも抜けている部分はありますが,少しだけです.
きっと書き起こしする方が出てくると思います…(笑)
富野監督と落合氏の対談は非常に濃く興味深かったです.
富野監督が対談中に落合氏の驚かされており,珍しい対談でした.
落合氏には再び富野監督と対談して欲しいです.
以下全文
富野監督:落合先生は、映画祭の一環であるこのイベントに一番連れて来ては行けない人なんです。すごくわかりやすく言うと、「もう映像の時代は終わったんだよ」ということを平気で言っている人。先ほど紹介の際に流れた作品も、一見映像とは関係ない研究のように見えますが、そうではなく、どのように見えるものとして具体的な形で表すかということを研究なさっている方で、おそらく日本ではこのジャンルの第一人者です。そして、ありがたいことにガンダムファンでもあります。
落合氏:僕は1987年生まれなので、一番最初に見たのは『機動戦士Vガンダム』でした。当時は、なんで首がすっとぶんだろう……などと思いながら見てました。
小形氏:落合さんが11月に出される新著『魔法の世紀』では、「20世紀の"映像の世紀"というものが、20世紀で終わったのではないか」というのがメインテーマになっています。そのあたりをご説明お願いします。
落合氏:ここでいう"映像"は、"マスメディア装置としての映像"という意味です。20世紀は映像の力がものすごく大きくて、例えば、(20世紀には)松田聖子のことをメディアを通じて100万人が知っているから100万枚CDが売れていたような時代でした。でも今は、AKB48が1回の握手を100万人とすることで、1対1の関係性を100万個作ることによってものを売ろうとしていたりと、「メディアの特性」というものが、"映像の時代"のパラダイム(認識の枠組み)から今の時代のパラダイムになって崩れてきたと見ています。
それが何によって崩れてきたかというと、僕はそれがコンピューターによってもたらされたと考えていています。インターネットとモバイル機器の発達で、我々はもはやもう少しで魔法に届くような世界に生きているわけです。そのなかで、映像ではなくて新しいビジョンにのっとって次の21世紀を考えなくてはいけないのではないかというという話です。
小形氏:コンピューターによって、こういった変革が大きくなったということなのですが、実際にディズニーも『アナと雪の女王』はCGに進み、今度は宮﨑駿監督もCGの映画を作ろうとしています。そんな中、『G-レコ』はいまだに手書きのアニメーションでやっている。監督、これはどういうことなんでしょう?
富野監督:だから富野は馬鹿だよね。「しょうがないからやっている」という、突き放したような言い方もできます。けれども、あえて偉そうな言い方をすると、20世紀が作り上げてきたある特定の文化があるから、やっぱりそこで遺産になるような作品を作っておきたい。そして、『G-レコ』でそれをやってみせるぞという気概はありました。
落合氏:間違いなく映像文化というのは文化として存在しています。映像ってアートとしても面白い存在で、逆に僕は個人的に手書きのアニメーションというのは好きなんですよ。だって世の中が全部CGに進んでしまったら、その中で手書きでいるというのはすごくパンクでしょう。実際、初代『ガンダム』のロボットの動きのほうが、人間の感覚的にCGのガンダムよりロボットとして訴えてくるものがある。歪んでいる感じがすごくいいんですよね。
富野監督:実はここ一年ぐらい前から、我々のまわりでもそういうことが言われるようになりました。「手書きアニメのほうがレアに見えるんだよね」という理解ですね。なので、手書きのアニメーションという文化を一つのジャンルとして残していきたいと考えていて、そういった意味で『G-レコ』でやっていることは間違いではなかったのではないかと思っています。
小形氏:落合さんの著書の中ですと、コンピューターが登場してきたことによって、劇的に人間のコミュニケーションや表現がどんどん拡大していくということでした。そうなってくると、もしかしたら手書きのアニメーションも、CGの発展によって同じようなものが味わえるということになるのではないでしょうか。
落合氏:2030年か40年になったらそこに到達しているとは思います。コンピューターで代替可能は代替可能なのですが、何を基準に代替するのかというのは、先人の遺産を見なければなりません。ですので、富野監督があと50年現役で戦っているかどうかはわかりませんが、監督には今できるベストエフォートで手書きアニメを残していただかないと、僕たちはコンピューターを使って何をサンプリングしていいのかわからなくなってしまいます。
富野監督:落合くんが著書の中で何度も何度も「古典に戻らなくちゃならない部分がある」ということを言っているのは、だからなのね。だけど、これお世辞じゃないの(笑)?
落合氏:お世辞じゃないですよ。「富野エンジン」をどうやって作るのかというのが僕の課題なんです。おそらく2040年ぐらいになったら、僕は授業していなくて、僕のTwitterの発言集が授業するくらいになっていると思うのですが、そうなると今生きている著名なアニメ監督の方々などがどういう思考法とプロセスで作品を作ったかということが、今残しておかないと永久になくなってしまうのではないかという危機感があります。
小形氏:それは、その時代にはこういった考え方のアーティストや監督は生まれないということでしょうか。
落合氏:生まれないでしょうね。むしろ、コンピューターに親和性が高い人はコンピューターをベースにものを考えるようになるので。もちろん、それはそれで歓迎されるべきだと思うのですが、一方で人間の多様性が減って表現の幅が狭くなる可能性があります。
小形氏:その時になったら、「富野由悠季」「宮﨑駿」というコンピューターが存在して映画を作り続ける時代になるということですか?
落合:そうなると思います。例えばモーツァルトとか。
富野監督:ファーストガンダムを作った時に作った設定、つまり「ミノフスキー粒子」によって無線が使えない。無線が使えないことで、人型のロボットが格闘戦ができるという劇を作ったわけですね。ところが、なぜ「ミノフスキー粒子」を発明したかというと、工学や電気のことは一切関係ありませんでした。ただ「映画を作る」ということを考えた時に、地球の裏側にいるやつが科学技術を用いてその反対側にいるやつをやっつけるというのはドラマになりません。
ドラマを作るというのは、取っ組み合いができなくちゃならない。だから、宇宙船で取っ組み合いができるようにするにはどうしたらいいか。遠隔兵器を技術論的に壊すのは面倒くさいから、無線を遮断することを思いつきました。これは、工学ではなくあくまで映画を作るために発明したものです。15年たって久しぶりに『G-レコ』をやってもこの設定は使えました。そしてコンピューター技術がこの20年たってとんでもなく進歩しているにもかかわらず、『ガンダム』の世界が揺るぎないのは、「ミノフスキー粒子」があるおかげだと思ってます。
コンピューターもへったくれもないんだよね。いまだに、取っ組み合いができることで劇ができる。わかりやすく言うと、愛憎劇ができるんですね。「愛しあうためには手が届くところで抱き合わなくちゃいけないんだよ」という原則を絶対に揺るがすことができないという意味では、「ミノフスキー粒子」が改めて秀逸なアイデアだなと今回感動したんです。
また、工学は関係ないと言いつつ、実はこういう入り口から工学に入っていくような人たちが出てきたりする。僕は今回『G-レコ』を作る上でもう一つ思ったのは、現代の宇宙開発も含めて、地球上の資源が消費されている問題がどうなのかということを次の世代の人に考えてほしいと思ったことから『G-レコ』のような舞台を作ったんです。
エネルギーのことを考えた時にキャピタルタワー、つまり宇宙エレベーターがありました。あれを時刻表によって定時運送できるだけのシステムを考えた時にエネルギーの問題があって、あれだけ大きなものを動かすためのエネルギーを人工的なものやクリーンエネルギーでまかうのは不可能なので、そこは本当に考えました。
雷を使う、つまり地球そのものがバッテリーかもしれないという想定で、その電力をすくいあげる技術を確立しているだろう、そのくらいのレベルを考えないと『G-レコ』の中のキャピタルタワーは成立しないんだよということを、今から50歳若い子に考えてもらったら、その難題を突破する方法論を見つけてくれるんじゃないかと思ったんです。
地球そのものがバッテリーになるかもしれないということ、そして実際に電離層があるというのがどういうことなのかという、宇宙工学の部分でも我々が研究しなければならないことがたくさんあるんだよということを画にするために実は『G-レコ』を作りました。この話は、今日初めてするお話です。こんなことを言われて、『G-レコ』をロボットものとして見ていた人はびっくりしちゃうと思うのですが、この話はわかってほしい。
落合氏:14歳の時に何を見たかで人生決まってきてしまいますからね。僕は、『Zガンダム』をアニマックスの再放送で見た世代なんですね。それから、「どうやって人類を革新するか」ということに燃えようと思ってコンピューターをがりがりやり始めたんです。もしかしたら今の子たちは、14歳でクリーンエネルギーをやるかもしれないし、逆にテクノロジーをどうやって語るか、それは芸術でテクノロジーを語ってもいいし、テクノロジー自体を作ってもいいと思います。そして、その裏にある人間ドラマをどうやって生成するかということを、アニメを通じたメッセージとして受け取るというのは、14歳にとっては強い経験になるはずです。
富野監督:実は、『ガンダム』がきっかけでその道に進んだという研究者に、数年前に漫画雑誌『ガンダムエース』の対談で知り合ったことがあります。バイオエネルギーの教授が、ある研究者を指して笑うんですよ。「こいつね、このバイオエネルギーでガンダムを動かそうって本気で考えているんだよ」って。そういうところから裾野を広げていった時に、何かが起こるかもしれないというのは年寄りとしてはやっぱり期待したいところです。申し訳ないけど、今ここにいるような大人にわかってもらう話を作っている暇がなくて、10歳から15歳までの子たちが、これからこうなるのかとか、わからないけど何かあるのかもしれないという種まきをしたいと思って、僕はこの作品を作りました。
小形氏:落合さんの著書を読ませていただくと、コンピューターを使って人の認識能力がどんどん高まっていく時代が来ているということですよね。
落合氏:あれは、もろにニュータイプという設定に影響されていて、人間が3次元的に宇宙に出るようになると人の認識が拡大するという設定に僕は当時心打たれたんです。今では、宇宙よりもコンピューターがこの世界にはびこってしまったためにコンピューターの影響をきっかけにしていますが、でもそれはほぼ等価の議論なんですよ。
富野監督:「ニュータイプ」という概念を思いついた35、6年前の自分の気分で言えば、若い時には直線的にものを考えて未来を想像したくなりますよね。でも、この年になってくると、その部分が却下されてくるんだよということも『G-レコ』をやるときに考えていたことなんです。この前も落合先生と打ち合わせをしていた時に、「本当に人はニュータイプになりうるのか」という話になったのですが、僕はそこまで突破できないのではないのかという人間に対する絶望感が、年をとってからはあるんです。
人というのは共同社会の中でしか生きていけませんから、そこには組織が生まれます。組織があると、今度は派閥というものが発生してくる。派閥というものをコンピューターが上手にコントロールできるかというと絶対にうまくできないと思うんです。コントロールできなくなった時にコンピューターが怒って人類絶滅にするのかもしれないけど、電源切ればこっちの勝ちよねって話もあるわけ。電源切るやつもいれば、電源切らずに適当に使わせるやつもいれば、適当な情報を選んで、大衆には限られた情報しか知らせないという体制ができるかもしれない。
落合氏:どちらかというと、スマホの誕生によって人類の判断能力は徐々に低下していると思いますけどね。そうなると、意外に派閥争いとかしなくてもインターネットにすべてを任せるという世代もありうると思っています。
富野監督:そうなってくると怖いよね。我々はそこまで堕落していいのかということはもっと考えなくちゃならない。「我は我である」と自己認識することが、とても大事な時代がくるのかもしれませんね。
落合氏:でも、ガンダムが人の形をしているのはそういうことですよね。
富野監督:いえ、それはもっと簡単な話です。宇宙で人が暮らすようになった時に、一番大事なことがあるということで人型にしたんです。宇宙空間で、動物は自分と同じ姿を見たら一番安心するんですよ。だから、変な機械的な形にはしませんでした。そういった理由からガンダムは人型になっているんです。
それより問題なのは、100億の人類がこの地球で高度な科学技術のもとで暮らしていったらみんなが富裕層になる。みんなが富裕層になったら地球がパンクするよと。今の政治経済人は放射線物質の半減期を考えないでコストが安いという考え方をしている。でも、400年管理しなくちゃいけないというコストを考えた時に、それはコストパフォーマンスがいいかと考えるとそうじゃないだろうと。そういうことを除外してものを考えるシステムがあっちこっちにできていった時に、スマホとこういう考え方が並列的になると人類は堕落の堕落の堕落をするしかないんじゃないかなと思うんです。
落合氏:でも、『G-レコ』を見た世代が宇宙に出ようとしてくれるから大丈夫じゃないですか?
富野監督:宇宙に出たいって思う? 僕は『ガンダム』を作っていた時から宇宙に出たいと思ったことはありません。だって、つまらないから。僕は星座を見て1年中楽しめるという感覚がないから、きっと飽きるし。僕は、そばにお姉さんがいてくれたほうがずっといい(笑)。それ以上の欲がないですから。
でもこれに関連すると、生物というのは雄と雌に分化されて今日まで生きてきて、人類は繁栄してきた。だけど、人類という一種のみがこれだけ繁栄してきてしまった地球の生態系は異常なんだということを、我々はやばいと思う必要があるという話までしたいんだけど、これはアニメではできないんです。視聴率も下がるし、劇場にも誰も見に来てくれないということになるので、スペクタクルに展開させるしかないんですよね。
落合氏:コンピューターって、1秒間に3ギガ回くらい計算できるんですけど、人間って種としては子供を作る時しか計算してないんですよ。DNAってワンクリックしてやっと1回演算だから、20年で1回くらいしか計算していないのと一緒ですからね。そう考えるとコンピューター以降の人類はよっぽど情報を整えているし計算している気がします。
富野監督:人類は高等動物だという表現をしているけど、高等動物がこんなレベルなんです。今のパソコンに追いついていないんですよ。そういうことを、もう少し個人の問題として、組織の問題として理解して、実際の施策をするという頭をそろそろ本気になって考えなくちゃならないというのが21世紀なのではないか。そして、そういうものをコンピューター的な技術論からも一般に広げていくというものを、子供たちに向けてやっていかなければ理解は得られないと思いますね。
落合氏:僕は、バラエティ番組とかに出る機会はとても大事にしているんです。どうやったら14歳の子供に語りかけることができるかといったら、今"映像の世紀"のいいタイミングなので、このタイミングで言っておかないとマスに言えるチャンスはなくなってしまいますから。
富野監督:"映像の世紀"は引きずってはいます。ただ、テレビのブラウン管とかVTRとか、かつては元フィルムだったものでメディアに変換することができたけれども、今それをもっと新しい言い方をしなくちゃいけないと思っています。動画という言い方もありますが、「YouTubeに載る」というと動画という意味でしょう。僕は、表現として「YouTubeに載る」という言い方を認めたくないんです。どうしてかというと、載った瞬間に自分の作品がYouTubeに吸収されちゃって、YouTubeが作ったかのような錯覚を勝手に起こさせるでしょう。そんな馬鹿なことを誰がさせるかという話をしたい時に、動画的なもの・動画作品を指す、もっと新しい表現を発明しなくちゃいけないという話をさっきもしていたんです。
落合氏:「TOKYO INTERNATIONAL FILM FESTIVAL」と言いつつ、もうフィルムは使われていないですからね。
富野監督:僕は、それは歴史を背負っているものだから、「フィルム」という名前を残してもいいと思うんです。習字の筆と同じようなものなのですから。でもこれ以後「フィルム」という言葉を使っていいのかというと、もうとっくにフィルムはなくなってしまっているんですね。フィルムを今プリントアウトしようとしたら、変換してということをやった上でないとできないですから。そういうものの呼称を考えていくということを含めて、我々はもう少しフレキシブルに物事を考えなければならない。その時に、30代以上のお父さんやお母さんとかは社会人の感覚をもっているので、なかなかそこに行き着かないんです。
落合氏:最大の敵は親ですからね。
富野監督:えっ?
小形氏:監督のアニメ見て育つと、みんな親は敵だと思うみたいですよ。
(客席から大きな拍手)
富野監督:なんでここで拍手なの(笑)。はたと考えたら、私でさえ孫がいるってことはものすごい強大な敵になっているってわけですね。
落合氏:孫は一度変換されて味方になるんじゃないですか?
富野監督:でも、だからこそ逆に言えば、敵になった立場から見た時の問題点が見えてくるわけだから、その問題点をきちんと開示しておきたいですね。僕には手書きのアニメがあるのだから、それで死ぬまでもう少しなんとか形にしたいなと思いますので、皆さん今後とも重厚な支援をよろしくお願いします。
実を言うと、落合先生のような方をお呼びしていいのかどうなのかというのは、「東京国際映画祭」という舞台を考えた時に、問題もあるのかなとも思いました。でも、僕自身が1週間ほど前に落合先生のゲラを読ませていただいて、本当に勉強になりました。コンピューターの発達うんぬんの問題ではなくて、コンピューターを発明した人類という種が、今後どうしていくべきなのか、コンピューターと寄り添っていけるだけの、我々が本当に「ニュータイプ」にならなくちゃいけない時代が来たんだなということを痛感しました。
その一方で年寄りが懸念しているのは、ただ意識が拡大していった時に拡散するだけでコアがなくなっていってしまうのではないかという問題です。だから、そういう意味ではやはり求心力があるものなんだよ、そういう力を持てるんだよという言い方もしていきたいと考えています。ものすごく怖い言い方をすると、人はいまだに独裁者になりうるんですよ。だけどそれも求心力の一つの側面で、そういう求心力を持たなければならない時代になってきたという印象があります。しかし、あくまで21世紀の独裁者というのはかつての独裁者とは違うものです。我々は、そういうヒーローやヒロインも手に入れなくちゃいけない。そう思っています。
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