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『団地』阪本氏とのトークショーで編集技術やアニメとの違いについて語る富野由悠季監督

こんにちは。

2016年6月25日(土)に富野由悠季監督が参加するトークショーを聞きに行ってきました。
映画『団地』の14:40回上映後に行われたトークショーです。
『団地』の監督阪本順治氏とどんな経緯でトークショーが行われ、どういった話をされたのでしょうか。

阪本順治 - 映画.com







DSC_0589.jpg        DSC_0592.jpg








阪本氏と富野監督のトークショーの内容は一部文字起こしされているのため、
私は穴埋めをする形でレポートしたいと思います。
私が書いているのはあくまで話された内容のニュアンスを拾っているだけであり、
一字一句同じではないことをご注意下さい。
以下は映画『団地』のネタバレを含みます。








2016年6月25日
団地上映後トークショー
『団地』監督阪本順治氏と富野由悠季監督

阪本
ゲストの方をお招きしてトークをやる
ガンダムの富野監督です

富野
富野でございます
縁があって呼ばれました

予備知識がなくて、藤山さんが主演だから見て腹が立った(笑)
僕は関東人だから、関西人はこういうものなのかと思った
パラレルでSF的
時系列が分からなくて面白いんだよね、関西人はっ(笑)
関東と関西、SF的要素もストーリーも目茶苦茶
変な映画、でも好き(笑)

富野監督×阪本監督という異色の組み合わせは、阪本監督が『亡国のイージス』を撮影した際に、原作者の福井晴敏を通して富野監督と知り合ったことがきっかけだという。当時を振り返り、「実は富野先生がいかに偉いかを知らずに、酔っ払ってキスしてしまいごめんなさい」と懺悔(ざんげ)する阪本監督に対し、富野監督も「あんな世間知らずの人が監督しているから、こんな変な映画を作るんだよね」と憎まれ口をたたくなど、気心知れた様子の2人。



阪本
福井晴敏『亡国のイージス』の撮影から
福井晴敏の家で毎年開かれる隅田川花火を見る会
富野監督のことをまったく知らなかった
酔ってキスした
それ以降感想を貰ってる人。
『人類資金』、『北のカナリヤたち』……

『北のカナリヤたち』でコマが遅いと言われた
今回はどうですか

富野
『北のカナリヤたち』のとある吉永さんシーンで6コマ遅い
団地はカット割りを意識しているなという感じはした

阪本
間合い、テンポは関西人なので(笑)

富野:(動画を編集する際に)フィルムを物理的に切るというところから、デジタル作業になって(カットを)切るというのは多少気分が違うんですけれども、やっぱりカット頭の12コマくらいまでの単位をどう切るかっていうのが勝負なんです。今回の作品は『北のカナリアたち』(2012年)に比べたら数段神経が行き届いているなと。とても気持ちがよかったです。

阪本:今回の映画は関西のノリですから。"間合い"というやつですよね。

富野:その"間合い"を発生させるのに、3コマ・6コマがとても大きなターニングポイントになってくるんです。昔のフィルムに比べたら、かなりの自由度で動画を前後させることができるので、そういうところが動画の方って無精な気が多少しますね。アニメはとにかく1コマ勝負でやっていましたので。

実を言うと、実写の動画というのは動きがあいまいに見えるんです。例えば、振りぬくという動作にしても、振りぬくところのどこを撮るか、その動きのはじまりがどこからかでつなぎ方や見え方が違ってくるんですね。それが実写の動画ですと2コマくらいやっていると大体ずれて見えます。それを決めるというのはものすごく難しくて、そういう意味ではアニメの編集よりずっと難しいんです。今回の『団地』は、そういった意味ではすごくきれいで、見ていて気持ちがいいですね。




富野
試写のときに比べて画面が明るい
関西の泥臭い、どんより具合が合ってた
明るい話ではないので
試写に観たときは円盤の登場が明るすぎてリテイクしろと言った

市川昆『おとうと』の銀落とし、銀残し → 銀残し - Wikipedia
銀残しというフィルムの技法
本当は〝銀残し〟と言うが、僕の学生だった当時の宣伝や雑誌で〝銀落とし〟としていた
〝銀落とし〟の言葉は間違っているが僕は〝銀落とし〟で覚えてしまっている
ドンより具合が良い
『おとうと』は一時パッケージで画面を明るくしたバージョンが出てゲッソリした


富野
動画の再生の仕方は劇場によっても違うわけだし、モニターによっても違うし、DVDの仕込みの段階でも違う。これからは画質の問題でどうのこうのという評論はやめたほうがいいと思うんです。動画の構造だけで話を理解するというところにいかなくちゃいけないし、逆にいうとそういう演出の仕方をすべきなんじゃないかなということは今日もあらためて勉強させてもらいました。

阪本:現像所での色のチェック、音のチェックなど最後の仕上げをしてみたものがベストになっても、どこの映画館でかかるかで違っていて、もう"ライブ"なんですよね。かつて映写機2台で1本の映画をやっていた時は、右のランプが新しくて左が古かったりすると、15分から20分おきにクオリティーが変わってきていて、これも仕方がないことでした。

これについては『北のカナリアたち』でご一緒した木村大作さんが、「シネコンでは一番後ろに近い席が一番狙った絵が出る。一番前は映画を見るところじゃない」とおっしゃっていましたね。小屋によって、よかれと思ったものが変容していく。それは作った自分たちにしかわからないと言えばわからないんですけどね。

富野:プロフェッショナルであればあるほど、画質の問題を言っていてはダメで、構成で見せる以上のことをしてはならないと思うんですね。逆につまらないというのは構成がつまらない、本がひどいんだろうと。アニメの場合では本の次に絵コンテを組んで全部を組み直すということがありますので、コンテの段階が第一の勝負。それでおもしろくなかったら何をやってもダメ、ってくらいに覚悟しなくちゃならないというのが映画の作り方だろうなという気がします。




阪本
この作品をみた人たちから「いきなりSFにしてどうしたの?」、「SFに転換?」と言われたが、
私は昔からSF好きな少年だった

富野
それは『鉄拳』(阪本氏の作品)を見れば分かる、分かってるよ(笑)



富野
難点は中盤〝死体〟になって居なくなったときに中だるみがあった

阪本
脚本はどうやって書いてる?

阪本:富野さんは脚本を書く時には絵と尺みたいなものを頭に入れて書かれているんですか?

富野:そういうことは考えないで勝手に書いています。『団地』は、出演する役者さんを想定して書かれていますよね。当て書きは、縛りにはなるけれど、アニメの仕事しか知らない人間からするととてもうらやましいですね。劇中では本と役者さんの親和性が高く、見やすくなっています。

役者さんがほとんど演技をしていないように見えるというのは、本が役者さんに合っているということですから、映画を撮っているという意味での醍醐味としてはいい。ただ問題なのは、映画がそれだけでいいのかというと、映画はもっと"作り"が必要になってくるんですね。今回の映画についてはその"作り"の部分をよく検討していらっしゃるなと感じました。



富野
これは映画館にの画面によって変わる
画質の問題を指摘するべきではないと感じた

阪本
昔の映画館では映写機によって変わる
ライブなんですよね


富野
映画を作るにあたって何をすべきか
画質は関係ない動画
ホン(脚本)が重要になってくる
アニメだとコンテが第一の勝負
そこで全てが変わってくる

つまらない映画だと思ったが、こういう関係(いつも感想を言っている関係)なので一応見てみるか
あれ、面白いぞ(笑)?って


富野
役者さんを承知で書く本の気持ちよさが見えてきて、その上で、会話劇でずるずると進んでいくような、劇構成ができないかもしれないものを、どう劇構成していくのか。そこを演出で劇映画にしていく、ウソ話にしていくすべりこみのすごさですね。作り物にしていく、"作為"が気持ちよかったですね。

阪本:作為というか、ケレン味のようなものが好きになってしまうんですね。

富野:そうでなければならないというより、映画はそれでしか見せられないものだと思うんです。映画はリアリズムでも見せられると言っていた時期もあったのですが、カットを分けた瞬間にリアリズムではないんですよ。そこは絶対に作為しかなくて、リアルな意味でのドキュメンタリーはないと思っています。

富野
動画で作品を見せるとはどういうことかというと、それは物語をどういうふうに構成するかということに尽きて、その時にディテールは言ってはならないんですね。ディテールというのはこのレベルになってきて初めて言えるものです。役者さんに合わせて本を組んでいったという気持ちよさ、アニメで言えば、このアニメーターが作画をしてくれたことで感情表現がきちんとできているというディテールはやっぱり二の次なんです。でも、この二の次がぴたーんとはまっていると二の次じゃなくなって、あっという間に順番がひっくり返るんですよ。それでその役者・スタッフの作品になってくる。そういう意味では今回の作品は坂本監督らしい作品になっているなと。

阪本:今まで僕の映画を見てきてくれた人には、急にSFとか含まれているから「どうしたの?」とか言われたりするのですが、僕は本当に自分らしい映画を仕上げたつもりです。

富野:そういう方は映画は作り物だということを知らないか、映画でメッセージが伝えられるとかプロバガンダができるという昔の観念をもっておられるんじゃないかなと思います。

デジタルの時代になると動画はかなり自由に作れるようになりました。でも、自由に作れるようになればなるほどつまらない作品のほうが多くなっている。それは自由度をもった動画が物語を伝えているのかというと伝えていないんですね。ただぐるぐる回っているとか、上から下まで降りていったとか、そういうのは『スーパーマン』の1本目を見れば十分で、いったい何十本見たら気が済むんだと。とはいえ「ガンダム」は何十本も作っているのですが(笑)。そういうところに取り込まれていってしまう時に、手に入れなくちゃいけないのは物語性だろうと。

だから今回のように、この手のテーマや見え方でも、こういうふうに作れば映画になるんだよというのをしっかり見せてくれたという意味では、かなり個人的に支持する部分があります。




阪本
どこが面白い、笑えた?

富野
ずっと笑えた
ここがピンポイントに良いというのはクソな映画ですよ(笑)
だってそこしか褒めるところがないんだもん

阪本:実は、今回の「SF」というのは「阪本」「藤山」の略なんですけど(笑)、これから空想小説の側に向かっていってもいいですか?

富野:SFを売りにするときの演出眼はかなり違ってくるので、今のこのやり方では絶対にだめですね。技術論の範疇なんだけれど、これは説明できない。もし『団地』をSF調に本気になってしようと思ったら、後半部分のカット割りが悪すぎますね(笑)。



阪本
富野監督の映画講座でした(笑)ありがとうございました




申し訳ないですが、ツギハギの状態のため、話の順番が前後している可能性があります…(汗
完全版はおそらくシャア専用ブログさんの方で出ると思います(笑)

富野監督が参加するトークショーでしたが、邦画『団地』に全く興味がなく、乗り気ではありませんでした。
しかし、実際に行ってみるといつものアニメを語る富野監督とは別の一面が見られてよかったです。
また、『団地』も日常の雰囲気と最後のSF要素が混ざって面白かったです。

富野監督のお話では、カット・コマ・編集にかける熱い思いと
「アニメだとコンテが第一の勝負」という富野監督の考えを改めて感じました。

最後に富野節では「ゲッソリした」が生で聞けて嬉しかったです(笑)
(ブレンパワード、ジョナサンの「ゲッソリとした感覚」)










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