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富野由悠季監督「夜は寝る時間でしょ。その時間に起きている人を想定してビジネスができる社会は異常だと思う」

富野由悠季監督のインタビューが産経ニュースに掲載されました。
よろしければこちらの記事もどうそ。産経新聞に富野監督のインタビュー掲載


「ガンダム」富野監督の語った「アトム」と手塚治虫 - MSN産経ニュース

産経新聞文化面で月1回掲載している連載「テレビ還暦」。5月28日付で国産初の連続テレビアニメ「鉄腕アトム」を取り上げた際には、スタッフの一人だった「機動戦士ガンダム」の生みの親、富野由悠季さん(71)に話を聞いた。紙面では書ききれなかった富野さんの言葉をここで紹介する。


■とんがった“まなびや”


 富野さんは日本大卒業後の昭和39年、手塚治虫さんが設立したアニメ制作会社の虫プロダクションに入社した。38年1月に「アトム」の放送が始まり、1年数カ月が過ぎたころだ。

 当時の虫プロには、SFライターや漫画家、元教員といった雑多な若きクリエーターたちがスタッフとして参加。富野さんだけでなく、「タッチ」の杉井ギサブローさん、「銀河鉄道999」のりんたろうさん、「装甲騎兵ボトムズ」の高橋良輔さん、「あしたのジョー」の出崎統さん…ファンにはおなじみの有名監督らが虫プロを“まなびや”に巣立っていった。

 富野さんは「視界は全く見えないが、『何かをできるかもしれない』と思ったとんがった人たちが集まっていたのは事実。だから僕のような落ちこぼれも交ぜてもらえた」と懐かしそうに振り返る。

 富野さんの入社時には、すでに使い回しや省略表現でセル画の枚数を節約する「リミテッドアニメ」の手法がある程度確立されていたという。「アニメは全部動かさなくても伝えられるということを教えてもらった」と富野さん。ただ、「週ペースでものを作ることにすでに現場は慣れていましたが、とにかく忙しく、演出論などを議論をしている時間はなかった」とも明かす。

■「コンテ描けます?」


 富野さんは「アトム」の第96話「ロボット ヒューチャー」で、初めて演出を担当する。きっかけは、シナリオがないまま描いていた絵コンテ(シーンの進行をイラストとともに説明した表)の前半が手塚さんの目にとまったこと。手塚さんに呼び出され、「富野君、これ君が描いたの? 後半、コンテ描けます?」と尋ねられた。

 「初めてのことで、自信なんて全くない。でも、人間、そういうときは『描けます』と言ってしまうんですね」

 それから約3カ月後、手塚さんに誘われて喫茶店に入った富野さんは、「明日から演出部に来てもらえる?」と告げられ、本格的に「アトム」の演出を手がけていく。

 最盛期ほどではないしても、多くの漫画連載を抱えていた手塚さんと、富野さんは打ち合わせ以外ではほとんど話をしたことがないという。ただ、番組の視聴率が悪化して“キレる”手塚さんの姿は印象的だったようだ。

 「スタッフ全員が呼び出され、手塚先生が『君たち、これだけ視聴率が落ちているのは同じようなことをやっているからですよ!』と怒鳴る。われわれは『また怒った』と後で言っていましたね」


■虫プロ“出入り禁止”


 実写志望で、リミテッドアニメの手法に違和感も覚えていた富野さんは昭和42年、虫プロを退社する。別の職業を挟んだ後、フリーとなった富野さんが初めて監督を務めたテレビアニメが、サンケイ新聞(当時)で連載されていた手塚漫画「青いトリトン」(海のトリトン)だった。

 プロデューサーは、その後「宇宙戦艦ヤマト」を手がける西崎義展さん。富野さんは手塚さんの原作に飽きたらず、西崎さんに「原作、無視していいですか?」と告げて、設定やストーリーに手を加えた。
「その仕事が来るまで、本当の意味で自分がオリジナルが好きかどうか分からなかった。単純に海獣をやっつける展開が気に入らなくて、最終回はシナリオなしで勝手に描きました。ライターとはけんか別れして虫プロには出入り禁止になるし、(虫プロのあった東京の)練馬付近にはしばらく近づけなかった」

 アニメ「トリトン」のラストでは、主人公トリトンが戦っていた敵の一族が、かつてトリトンの一族と共存していた「仲間」だったことが明かされる。正義と悪の境界が宙づりになる最終話は、今も語りぐさだ。

 富野さんのその後の作品には、物語終盤で登場人物の多くが死亡するなどして主人公や視聴者を揺さぶる作品が少なくない。「アトム」と「トリトン」での体験が、富野さんの作家性を培ったといえそうだ。

 一方で、フリーとしてさまざまな現場を経験したことも大きな糧になったという。「アルプスの少女ハイジ」では、後にスタジオジブリに参加する宮崎駿さん、高畑勲さんとともに仕事をする。

 「虫プロでの経験はその後のヒントになったが、同時代のスタッフのアニメ論、映画論が聞けなかったのはいやだった。宮崎さん、高畑さんと出会い、アニメを映画として作っている同世代の作り手がいると知って、命拾いした。両方を体験できたからこそ、制作予算のあるロボットアニメをやるとき、『もしかしたら映画らしく作れるかもしれない』『どういう物語を付加するかが重要だ』と思うことができた」

■「群衆は付和雷同する」


 「ガンダム」シリーズをはじめ「無敵超人ザンボット3」「伝説巨神イデオン」など数々の人気作を手がけてきた富野さんは、誕生から50年がたつテレビアニメを「手塚治虫という天才がいたおかげで新しい媒体ができ、その成長過程を見ることができた」と振り返る。

 最近のテレビアニメについては「見ていないので作品評はできない」とした上で、深夜放送が一般化していることについて、「夜は寝る時間でしょ。その時間に起きている人を想定してビジネスができる社会は異常だと思う」と言い切る。

 一方、「作品には、時代が最終的に評価を下してくれる。作家の名前が忘れられても、作品が自立するものがある。僕個人がぐだぐだいう必要はない。だからこそ、50年たっても語られるようなものを作っておきたい」と創作への意欲をにじませる。

 デジタル化やインターネットの普及など、アニメを含む映像メディアの環境は大きく変化しつつある。ただ、富野さんは主にネットの普及を冷ややかに見ているようだ。

 「人の平準化が進むだけでは。群衆は付和雷同する。群衆を一気にニュータイプにする方法が見つからないと、世の中は明るくならない気がする」

 「ガンダム」シリーズに登場する設定をひきつつ、そういたずらっぽく批評した。

 富野さんが初めて演出を手がけた「アトム」の「ロボット ヒューチャー」の回では、未来を予測できるヒューチャーが、金もうけをたくらむ博士に利用され、「人間の役に立つ力なんでしょうか」と自問自答する。アトムは「切り抜けていくんですよ」と励ますが、ヒューチャーは予言通り、博士の手にかかって破壊されてしまう。

 新たなテクノロジーやメディアを、人は使いこなすことができるのだろうか。人は変わることができるのか。希望と悲観が交錯する作品群を発表してきた富野さんの「問い」は、虫プロ時代から変わっていないのかもしれない。




・深夜放送が一般化していることについて、「夜は寝る時間でしょ。その時間に起きている人を想定してビジネスができる社会は異常だと思う」

・「作品には、時代が最終的に評価を下してくれる。作家の名前が忘れられても、作品が自立するものがある。僕個人がぐだぐだいう必要はない。だからこそ、50年たっても語られるようなものを作っておきたい」と創作への意欲をにじませる


深夜帯のアニメが多い中、こう言い切る富野監督はさすがです。
この二つの発言は新作Gレコ(仮)に関係あるでしょう。従来の富野監督作品と同じで深夜以外になるのではないでしょうか。
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