富野由悠季監督、制作中の“Gレコ”の舞台について語る
より富野監督の対談が掲載されました。
■SACLAを取材したことで、『ガンダム』新作の方向性が固まった
石川:新作アニメを制作中とのお話ですが。
富野:実を言うと、今日話したようなことは、新作の制作にあたって考えたことなんですよ。つい4、5年前までは僕は基礎学力がないから、未来のこととか安易に語っちゃいけないと真剣に考えていました。でも、今はすごく気分良く制作の現場に入れている。今回の取材班から、事前に質問をもらいましたよね。
――はい、「『ガンダム』にSACLAを登場させるとしたら、どんなかたちですか?」という質問ですね。
富野:これはとても象徴的な質問です。「こんなことを聞くなんて今のメディア人はレベルが低いよな」って初めは思ったんだけど(笑)、せっかくだから真剣に考えてみたんです。そこで初めて、『ガンダム』というアニメについて、僕なりの簡潔な言い方を見つけました。
石川:それは私もぜひ知りたいですね。
富野:こうです。「SACLAはあまりにもリアルすぎる技術なので登場することはあり得ません。『ガンダム』のようなロボットアニメはファンタジーですから、魔法を扱うのです。以上」。
――しかし、富野監督が“ファンタジー”と呼ぶ『ガンダム』は、これまで“リアルロボットアニメ”と評されてきました。
富野:その言葉がどれだけ嘘かということです。旧来のロボットアニメにあったような、「天才博士が一人ですべてを作り上げた」という世界観ではなく、メカニックがいて、設計者がいて、という当然のことをやったからそう言われただけで、あれが現実化されるとは思っていません。やっぱり、表現するっていうことは、根源的に「魔法」を扱うことを指すのです。それが自分にとってはっきり言葉としてわかっただけでも、この質問はありがたかったですよ(笑)。
石川:制作中の新作にそうした考えが反映されているというのは?
富野:今の世界の状況では、物語をリアリズムで組み立てると、「終末論」とか「人間は限界だ」って結論にしかならないのです。そこを突破していく展開をリアルにやるなら、暴力的にやるしかない。例えば、ヒトラーの再来が世界を席巻しているとか。でも、そんなフィクションが気持ち良いわけがない。特にロボットアニメというジャンルは20年後、30年後の未来を担ってくれる子供たちに向けて作るものだから、自慢気に語っちゃいけないと思うんです。だから、そういう考えをすべて捨てて、「これだったら」という物語を見つけた。その考えに至ったことで、次の新作はかなり自信を持って作っています。
――富野監督がそこまで言う物語とは、どういう話になりそうですか?
富野:舞台は一度人類が全部死に絶える寸前のところまでいった文明の、その後の1000年。それでようやく再生していったところで、また昔と同じ危機が起こっている。そこまで設定することで、ようやく現実世界の問題をロボットアニメのなかに落としこむことができました。今は年寄りの最後の仕事にしてもいいかなという気持ちでスタジオに入っています(笑)。
石川:SACLAがリアルな存在だというご指摘は、最初の「インフラだ」という発言とリンクしていますよね。それが結果として、新作の方向性を固めた、ということですか?
富野:だから、2011年のSACLA取材と石川先生との対談は本当に良い“気づき”になったんです。これからの科学技術というのは、夢だけじゃなくて、「観察」というリアルなところに根ざしていかないと行き詰まる。『風立ちぬ』じゃないけど、高性能な技術が必ずしも人間を幸福にするとは限らないわけですから。
大まかな舞台設定は分かりましたね。
このタイミングでこの内容の対談記事を出すSACLA側に何かあるのではと感じてしまします…(笑)
“Gレコ”に参加しているであろう吉田健一氏のツイートです。
あくまでこちらの推測ですので、本当に“Gレコ”に関係するかは分かりません。
大事なキャラの設定にオッケーがでた! 難産だったのでホッとした。 さあ、次々やらねば後ろに迷惑がかかる。
— 吉田健一 (@gallo44_yoshida) September 24, 2013
推測できるツイート↓
吉田健一氏とあきまん氏からGレコを予想
以下全文
「世界一小さいものが見える X線レーザー【SACLA】」天才から見たSACLAの未来とは?第二弾は富野由悠季が登場!
第二回ゲスト 富野由悠季
ガンダムの生みの親、富野由悠季が語るSACLAのエンジニアリング論
SACLAは日本の未来を支える“観察のインフラ”です
――お二人は2011年の冬に一度、『月刊ガンダムエース』(角川書店)の富野監督の連載(「教えてください。富野です」)で対談をされていますね。
富野:はい。理化学研究所を訪問し、SACLAを見学させていただきました。石川先生は心が広い方で、いろいろと質問攻めにしてしまう僕にでも嫌わずに接してくれて。
石川:いやいやいや(笑)。本当に富野監督とのお話は面白かったですし、あの記事が出た後、周囲の人から「お前のやっていることが富野監督の連載で初めてわかったよ」と何度も言われました。どうも、私たちの仕事は理解されづらくて……。
富野:それは先生が専門の世界の言葉で語っているからであって、あのときのように一般論で話していけば、誰でもSACLAに興味を持つはずですよ。
――2年ぶりの再会ということで、石川センター長にお聞きしたいことがたくさんあるとか。
富野:石川先生に再会できるというので、失礼がないよう久しぶりに受験生のように勉強してきました。それで思い出したのが、前回聞き忘れていたことがあったんですね。SACLAは非常に強力なX線の光を対象物に当てることで、ミクロやナノよりもずっと小さい「ピコ」(1ミリメートルの10億分の1)という単位でものごとを観察できる“巨大な顕微鏡”です。しかし、あまりに光が強すぎるために、正確な意味での「観察」にはならないのではないでしょうか?
石川:それはSACLAのX線レーザーが強力なので、対象物が壊れるということですね?
富野:そうです。壊れる直前と直後のデータは得られるかもしれないけど、一番知りたいのは、物質が変化していく瞬間の“ゆらぎ”でしょう。それをどう考えているのかな、と。
石川:そこは研究者がみんな見たいと思っているところです。ピコ単位で物質の変化を観察していくためには、2種類の光が必要です。「ポンプ&プローブ法」というのですが、SACLAからX線レーザーで対象物をわざと壊して(ポンプ光)、もう一方のレーザーで壊れていく過程を記録する(プローブ光)。そこで得られる情報のイメージとしては、コマ送りの動画が近いですね。光の波長が10兆分の1秒(=1フェムト秒)という短さなので、原子が変化していく動きも観察できるのです。
富野:観察にはマクロとミクロの2つの視点が必要ということですか、なるほど。これを我々の分野に引き寄せて言うと、Photoshopを使った画像編集における問題に似ているのかもしれません。パソコン上では画像をものすごく拡大することができるので、何百倍にも拡大して丁寧に修正していく。ですが、厄介なことに普通のサイズに戻すとバランスが崩れているということが多々あります。つまり、何かを観察するときには細かく見ていけばそれでOKということではなくて、必ず対象を俯瞰する視点も持っていなければならない。
石川:まさにその通りです。SACLAは隣接するスプリング8と同期しているのですが、スプリング8の光はSACLAに比べると優しいビームであるため、物質を破壊することなくSACLAの光による変化を記録することができるのです。
富野:そうやって局部を見つつも、全体像を把握していくわけですね。面白いですね。
石川:富野監督は理系の研究に造詣が深いですが、昔から興味があったのですか?
富野:僕は怠け者だったから理系に行けなかっただけで、基本的にロケットとか宇宙にしか興味がない人間ですから。中学生のときに数学の成績があまりにも悪くて、映画の道を選んだので、現在の僕は挫折の結果というわけです(笑)。
石川:SACLAに来てくださったとき、「これはインフラだ」と仰っていましたよね。それは本当に監督ならではの慧眼だと思いました。
富野:あの取材でわかったことは、科学技術というのはSACLAのような施設で事象を精緻に観察して、物質の癖を徹底的に理解したうえで研究していかなければならないのではないかということです。乱暴な言い方をすると、原子力はそこがなくて実用化してしまったがために、みんな未だにどう扱ったらいいのか慌てふためいている。使用することでどんなことが起こるかちゃんとわかっていなかったから、作ってしまってから困り果てることになった。
石川:実用化の前に、「まず観察し、理解すべし」と。
富野:そうです。原発事故が起こってしまった今、21世紀型の科学技術にはそこが絶対に不可欠でしょう。その根本を支えるという意味で、僕はSACLAをインフラだと思っているのです。
――ただ、インフラというと地味なイメージがありますが、富野監督は同時に、「こんなに面白そうな仕事もない」と評しています。
富野:そりゃ面白いに決まっているでしょう! 例えば、SACLAは全長700メートルの機械の中を直線で電子と光が飛んで行くという。僕みたいな素人は「直線」って簡単に言うけど、本当は700メートルでも地球の丸みの影響を受けて、37ミリメートルの誤差が生まれるのだそうです。しかも、雨が降っただけでも変わっちゃうんですよね?
石川:ええ。なので、非常に細かい範囲で修正を加えてまっすぐ飛ばしています。
富野:このぐらいの研究になると、地球が立ちはだかってきちゃうわけです。それを解決していく仕事なんて、大人が3日ぐらい平気で徹夜してのめり込みますよね。
石川:やっちゃいますね(笑)。大の大人が嬉々として取り組んでいますよ。
富野:しかも、そこまでやる意義だってちゃんとある。僕は最近知ったんですが、SACLAで「中空原子」(中身の電子がない=中空状態の原子)の生成に成功されたとか。でも、外力がまったくかかっていない中空って……。
石川:外力がまったくかかっていないわけではないのです。実験では、X線レーザーで無理やり電子を剥ぎとったのですが、ものすごく戻る力が強いのでフェムト秒より短いアト秒レベルという一瞬で電子が中に戻ってきてしまう。その一瞬を観察できた、ということなのです。
富野:あー、そういうことか! とんでもない技術力ですね(笑)。
――富野監督がそんなSACLAを使うとしたら、何を観察したいですか?
富野:さっきの原子力の話と関連しますが、僕は安全な核融合が本当に可能かどうか、それこそ原子や電子のレベルで知りたい。そこを知らずして、原子力の問題はもう語れないと思うんです。
石川:核融合で言うと、原爆や水爆ってかたちで結果はわかっているんですよね。バーンと爆発して、大変なことになると知っている。ただ監督が指摘しているのは、そんな核融合を安全に、小さな規模でやるためのエンジニアリング(=技術論)ですよね?
富野:そう。まさにその可能性を知りたいんです。
『風立ちぬ』に描かれたエンジニアの現実と、宮崎駿との共通点
富野:エンジニアリングの問題は、宮崎駿さんの『風立ちぬ』が良い例です。あれはゼロ戦を作った堀越二郎の物語ですが、同時に飛行機の発達史にもなっている。そこで描かれているのは20世紀型のエンジニアリングです。飛行機って原子力みたいに危険なものじゃないから、「試作→失敗→改良」という過程を何度も繰り返して進化してきた。ところが、SACLAでやっていることは正反対。
――もう少し説明していただけますか?
富野:SACLAは観察するための施設であって、工学、何かを作り上げる場所ではないということです。それは天文学と同じで、観察している分には人畜無害。でも、そこで得られる知見が今後はとても重要になってくる。もしかしたら、エネルギー供給の解決にもつながる可能性を秘めているのかもしれない、そう想像するのです。
石川:ピコレベルの観察技術を手に入れたことで、私たちはもっと原初的な分野を観察できるようになりました。それこそ、そこら辺の葉っぱは、光と二酸化炭素で酸素とデンプンを作っている。そのメカニズムがしっかりわかれば、光と二酸化炭素から人工的にエネルギーを作り出すことができるかもしれない。そのとき、わざわざ核融合を研究する必要がないという結論に辿り着くことだってあり得るわけです。
富野:すごい話ですよね。これまで積み上げてきた科学技術史を根本からひっくり返してしまう。僕がこのSACLAのスペシャルサイトで北野武さんの記事を読んでびっくりしたのが、対談相手である高田昌樹副センター長が最後に、「地球はあと100年もたないところまできているのではないか?」という考えを語っていたことです。
石川:私もそのぐらいの危機感を覚えています。
富野:僕は核融合が安全なかたちで実現して、世界中の電力を安定してまかなえるようになってほしいと本気で願っています。でも、そのためには20世紀型のエンジニアリングを変える必要があるのではないかと思うんです。とにかく進化進化進化、改良改良改良って追求しているだけでは置き去りにされるものが多すぎます。そうした考えにそろそろ、「バカじゃねえか!」って言わなければならない時期に来ているんです。もちろん、研究者はそう簡単には言えないでしょうから、代わりに、アニメ屋の僕が言っておきます。
――そうしたエンジニアリングに対する富野監督の関心の高さは、お父さんが技術者だったことが影響しているのでしょうか?
富野:僕の父親はゴム製品の研究・製造を行っていました。戦時中には戦闘機や爆撃機の部品も作っていましたし、特攻兵器の研究にも関わっていたそうです。
石川:まさに『風立ちぬ』の堀越二郎のような。
富野:そう。父親の工場を5歳くらいのときに見学した際に、僕は、「お父ちゃんはこんな大きな機械を使って遊べていいな」って言っていたそうです。そういう話からもエンジニアっていうのは戦争になると好きでもないこともやらされている人たちだと実感できるようになりました。先生は『風立ちぬ』をご覧になりました?
石川:まだなんですよ。見たいと思っているのですが。
富野:ぜひご覧になってください。本当に見事な映画です。宮崎さんが描いたのはこういうことです。技術者というのは夢を持つ。美しいものが空を飛ぶ姿は素敵だ。でも、航空技術に関わったおかげで、軍事でしか自分の才能を昇華できなかった。そんな絶望の物語なんです。
――しかし、世間では恋愛映画として宣伝されていますよね?
富野:それは一般観客へのアピールであって、本質的なことではないですね。あれは映画史上初めて、近代航空史を、そして技術者の苦悩を正面から描いた映画です。本来は僕にとって宮崎駿監督は倒すべきライバル。でも、今作はまったく逆で、映画のすべてがピターッと入ってきた。どうしてここまで航空エンジニアのことがわかるんだと思って調べたら、お父さんが「中島飛行機」の下請会社をやっていらっしゃったとか。
石川:「中島飛行機」といえば、「隼」(堀越二郎が設計したゼロ戦と並び称される戦闘機)を開発したところですね。
富野:つまり、僕と宮崎さんは同じような環境で育っていたんです。映画には設計ルームなどがでてきますが、その再現の細かさには舌を巻きました。『風立ちぬ』で何よりも重要なことは、飛行機というものが複葉機の初期の段階までは個人レベルで作れるものだったけど、発展していくにつれて莫大な資金が必要になり、軍事用に作らざるを得なくなってしまった。でも、イタリアにはカプローニという貴族出身の技術者がいて、個人でかなりの大型飛行機を作っていたんです。
――『風立ちぬ』の主要な登場人物の一人ですね。主人公の二郎が崇拝している。
富野:映画にはそのカプローニと夢のなかで出会うシーンがあって、「家族みんなを連れて、好きなところに旅に出かけられたらいいね。君もそんな飛行機を作りなさい」と言われる。それで彼は「頑張ります! 僕も美しい飛行機を作ります!」と答えるんだけど、最後にもう一度カプローニに会う。堀越の“飛行機を作る”という夢は確かに実現した。「でも、僕が作ったあれは、一機も戻ってきませんでした」と彼は声を振り絞るんです。その瞬間、頭上をバーっとゼロ戦の大群が飛んでいって終わる……。(感極まって)もう本当に僕は、この物語を話しているだけで駄目なんですよ。悲しくて。
石川:お話を聞いているだけでも、監督が言わんとすることはわかります。
富野:宮崎監督はゼロ戦の功罪、そして技術者の功罪というのをしっかり描いているんです。僕は『風立ちぬ』を見て初めて、「単なるメカオタクじゃなかったんだな」ってわかりました。あるところで今回の制作スタンスを明言していたのですが、「軍事オタクからゼロ戦を取り戻す」という意思で作ったそうです。ネットなどでは「今さら何を言っているんだ」と叩かれていると思いますよ。でも、そのぐらい好きで、メカのことをわかっていないと、人と道具の関係性なんて正確に描けないです。
――まさに最先端技術の魅力と罪がゼロ戦に象徴されている、と。
富野:はい。ずいぶんと話が散らかってしまいましたが、堀越のような技術者の悲劇を繰り返さないためにも、進化を至上とする20世紀型のエンジニアリングを考え直すべきだと思っています。今作っている僕の新作にも、こうした考えは反映されていますね。
SACLAを取材したことで、『ガンダム』新作の方向性が固まった
石川:新作アニメを制作中とのお話ですが。
富野:実を言うと、今日話したようなことは、新作の制作にあたって考えたことなんですよ。つい4、5年前までは僕は基礎学力がないから、未来のこととか安易に語っちゃいけないと真剣に考えていました。でも、今はすごく気分良く制作の現場に入れている。今回の取材班から、事前に質問をもらいましたよね。
――はい、「『ガンダム』にSACLAを登場させるとしたら、どんなかたちですか?」という質問ですね。
富野:これはとても象徴的な質問です。「こんなことを聞くなんて今のメディア人はレベルが低いよな」って初めは思ったんだけど(笑)、せっかくだから真剣に考えてみたんです。そこで初めて、『ガンダム』というアニメについて、僕なりの簡潔な言い方を見つけました。
石川:それは私もぜひ知りたいですね。
富野:こうです。「SACLAはあまりにもリアルすぎる技術なので登場することはあり得ません。『ガンダム』のようなロボットアニメはファンタジーですから、魔法を扱うのです。以上」。
――しかし、富野監督が“ファンタジー”と呼ぶ『ガンダム』は、これまで“リアルロボットアニメ”と評されてきました。
富野:その言葉がどれだけ嘘かということです。旧来のロボットアニメにあったような、「天才博士が一人ですべてを作り上げた」という世界観ではなく、メカニックがいて、設計者がいて、という当然のことをやったからそう言われただけで、あれが現実化されるとは思っていません。やっぱり、表現するっていうことは、根源的に「魔法」を扱うことを指すのです。それが自分にとってはっきり言葉としてわかっただけでも、この質問はありがたかったですよ(笑)。
石川:制作中の新作にそうした考えが反映されているというのは?
富野:今の世界の状況では、物語をリアリズムで組み立てると、「終末論」とか「人間は限界だ」って結論にしかならないのです。そこを突破していく展開をリアルにやるなら、暴力的にやるしかない。例えば、ヒトラーの再来が世界を席巻しているとか。でも、そんなフィクションが気持ち良いわけがない。特にロボットアニメというジャンルは20年後、30年後の未来を担ってくれる子供たちに向けて作るものだから、自慢気に語っちゃいけないと思うんです。だから、そういう考えをすべて捨てて、「これだったら」という物語を見つけた。その考えに至ったことで、次の新作はかなり自信を持って作っています。
――富野監督がそこまで言う物語とは、どういう話になりそうですか?
富野:舞台は一度人類が全部死に絶える寸前のところまでいった文明の、その後の1000年。それでようやく再生していったところで、また昔と同じ危機が起こっている。そこまで設定することで、ようやく現実世界の問題をロボットアニメのなかに落としこむことができました。今は年寄りの最後の仕事にしてもいいかなという気持ちでスタジオに入っています(笑)。
石川:SACLAがリアルな存在だというご指摘は、最初の「インフラだ」という発言とリンクしていますよね。それが結果として、新作の方向性を固めた、ということですか?
富野:だから、2011年のSACLA取材と石川先生との対談は本当に良い“気づき”になったんです。これからの科学技術というのは、夢だけじゃなくて、「観察」というリアルなところに根ざしていかないと行き詰まる。『風立ちぬ』じゃないけど、高性能な技術が必ずしも人間を幸福にするとは限らないわけですから。
石川:技術発展の問題で言うと、世の中には「作り続けてはいけない技術」というのがありますよね、きっと。
富野:僕もまったくそう思います。ただ、次の100年につないでいくための科学技術も、また一方では絶対に必要です。エネルギー問題に顕著ですが、20世紀型のエンジニアリングを脱していくための解決策を僕らは持ち得るのか。そこを先生にお聞きしたいのですが。
石川:確かに難しいですが、解決策を真面目に探していかないと、そろそろ間に合わなくなるでしょう。「進化を求めていったら、結果としてイノベーションが起こりました」というのがこれまでの技術史です。でも今後は、むしろイノベーション自体を設計していくことが問われている。SACLAの役割も、そこにあると思っています。
富野:例えば、太陽エネルギーだけで電力をまかなえる未来もあり得るのでしょうか?
石川:少なくとも、ソーラーパネルで太陽光を電気に変える効率をもっと上げないといけないでしょうね。光触媒(光に反応して化学反応を示す物質)で、水を水素と酸素に分解して「フューエルセル」(=燃料電池。水素と酸素が反応することで継続的に電力を生み出す装置)に利用するとか。あるいは先ほど申し上げたように、光合成の仕組みを解明することで、光と二酸化炭素から人工的に酸素を生み出す。それをまたフューエルセルに仕立てるとか、いろいろなやり方はあり得ますよね。
富野:それを解明する可能性がSACLAにはあるというわけですね。実際、葉っぱの光合成がどうやって起きているのか観察していこうとしていますし、重要性はますます高まっていくのではないでしょうか。……そうだ! 先生に聞こうと思っていたことをもうひとつ思い出しました。北野武さんのインタビュー記事で、「赤ちゃんが生まれた瞬間、どうやって酸素を吸うのか観察できた」という話がありましたよね。これは一体どうやって調べたのですか?
石川:それはスプリング8の実験だったのですが、単純にウサギのレントゲン写真です。ウサギが生まれた瞬間にどうやって肺のなかに空気が入っていくかを見たんです。
富野:そうですか! 面白いね~、やっぱり(笑)。2011年6月に完成したSACLAに比べると、スプリング8は15年が経っていますが、まだまだこちらも現役ですね。
石川:観る道具としての役割は、むしろ今のほうが必要とされているでしょうね。
富野:そうなると、SACLAやスプリング8で得られた知見をさまざまな分野に広めていく作業がこれから待っているわけですね。大変なことですが、20世紀型のエンジニアリングを脱するためにはやるしかないですね。とはいえ、数年前だったら僕がこんな話をしても誰も聞いてくれなかったでしょうが、SACLAのような存在が現れたことで、人々の認識が変わりつつあるのかもしれないですね。僕のような不勉強な人間でも、今日のような話をしていいのかなとぼんやりと思っています。
石川:いやいや、むしろぜひ、監督のような方にこそやっていただかないと(笑)。
富野:……でも、本当はこういう真面目な話が苦手なんです。だって、僕は先生より年上ですからね。年上ってのは偉そうにどしんと構えて、「(声を低くして)う~む、石川くんも頑張っておるんだね~」ってやるものじゃないですか(笑)。今年で72歳ですよ。もうちょっと貫禄があってもいいと思いません? 話がすぐ飛ぶし、スマートに喋れない。悔しいなあ。
石川:いえ、富野監督のするどい指摘に、私もいつも気づきをいただき、考えを巡らせています。ぜひ、これからもSACLAに注目をお願いします。
とみのよしゆき
1941年、神奈川県小田原市生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業後、虫プロに入社し「鉄腕アトム」の制作にスタッフとして参加。その後、CMディレクターを経てフリーの演出家に。「海のトリトン」で初のチーフディレクターを経験し、機動戦士ガンダムの原作・総監督を務め一躍人気監督となる。代表作は「機動戦士ガンダム」シリーズ、「伝説巨神イデオン」、「聖戦士ダンバイン」など。
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